開発途上国で小児科医として活躍している公文和子さんですが、小児科医を志すきっかけになったのは、大学時代の留学がきっかけなんだとか。
今回は、クリスチャン小児科医として活躍している、公文和子のwiki学歴・経歴まとめ!北海道大学での留学で小児科医になることを決意?について深掘りしていきたいと思います。
公文和子のwiki風プロフィール!経歴まとめ
公文和子さんは東京都で育ちましたが、実は和歌山県出身なんだとか。
公文和子さんのwiki風プロフィールや経歴についてまとめてみました。
wiki風プロフィール
・名前:公文和子(くもんかずこ)
・年齢:57歳(2025年時点)
・生年月日:1968年生まれ
・出身:和歌山県生まれ東京育ち
公文和子さんは1968年に和歌山県で生まれました。
しかし、父親の転勤で東京都へ引っ越すことになり、幼稚園時代から高校時代まで東京で過ごすことに。
公文和子さんの父親は大蔵省の官僚だったようなので、東京都へ転勤する必要があったのかもしれませんね。
ご両親がクリスチャンで、教会に通っていた公文和子さん。
公文和子さんの姉はクリスチャンになることを拒否したようですが、信仰について深く考えた結果、公文和子さんはクリスチャンになることを決意したようです。
公文和子さんのご家族については、こちらで詳しくご紹介しています↓

経歴
・北海道大学医学部に入学:1988年
・北海道内の病院で勤務開始:1994年
・イギリス・リバプールに留学後カンボジアで勤務:2000年
・国際協力機構(JICA)のプロジェクトでケニアへ:2002年
・「シロアムの園」をケニアに設立:2015年
公文和子さんは1988年に北海道大学の医学部に入学し、1994年には無事卒業。
卒業後は北海道内の病院で小児科医として勤務が始まりました。
6年後にはイギリスにあるリバプールに留学し、熱帯医学校で1年間熱帯小児医学を学びます。
熱帯小児医学とは、熱帯地方で流行する感染症や疾患などにかかる小児の健康を扱う医学のこと
その後、西アフリカのシエラレオネにある難民キャンプの国立病院に派遣されることに。
当時、内戦の影響で劣悪な環境だったため、子供たちが次々と亡くなる様子を目の当たりにすることとなります。
公文和子さんはその状況に強い衝撃を受け、心身ともに病んでしまい、不明熱という「原因が特定できない38.3℃以上の発熱が3週間以上続く状態」になってしまいます。
マラリアに2回もかかり免疫力が低下していたことで、この高熱がエボラやラッサ熱だと判断されたよう。
3週間以上の高熱とは考えただけでも辛い状況だとわかりますが、その影響でドイツにあるハンブルクの病院へ救急搬送されることになりました。
退院後、イギリスへと戻る公文和子さんですが、心身共に病んでいたこともありモチベーションを失ってしまったよう。
カンボジアにあるアンコールワット近くの病院で働くことになったようですが、シエラレオネに戻りたいという気持ちは消えませんでした。
2002年には、その願いが叶う形となり、国際協力機構(JICA)のプロジェクトでアフリカに戻ることとなります。
ケニアではエイズの専門家として活動し、2015年には「シロアムの園」を設立しました。
【🐘来週は・・アフリカの”希望”🦒】#プロフェッショナル 仕事の流儀「小児科医・障害児支援 公文和子」
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福祉制度の整わないケニアで、障害児の支援施設を立ち上げ、支えてきた公文さん。笑顔と希望の物語、お楽しみに!https://t.co/GBxgUX6OxL
👆詳しくはHPで🦓 pic.twitter.com/cwLeLdubyS
シロアムの園とは
「シロアムの園」とは、公文和子さんがケニアに設立した、障がい児の療養施設のことです。
名前の由来は、聖書に出てくる「シロアムの池」にちなんでいるよう。
イエスキリストが目の見えない人に対し、シロアムの池で目を洗うように言い、その通りにすると目が見えるようになったというエピソードがあります。
公文和子さんがシロアムの園を設立した理由は、2012年にケニアでスラムの衛生指導を行っていた時、脳性麻痺の少年が見せた無邪気な笑顔に感銘を受けたことが挙げられます。
この時に「この子たちと共に生きていこう」と決意したんだとか。
シロアムの園では現地スタッフの教育のために、日本から専門家を呼んで研修も行っているよう。
障がい児とその家族に対して、療育活動や医療、社会的サービスを提供しているシロアムの園。
障がいを持っていても、社会で生きていけるように、障がいへの理解を広めるための活動も行っています。
公文和子の出身小中学校、高校や大学など学歴まとめ
公文和子さんは北海道大学に通っていましたが、小中学校や高校はどこなのでしょうか。
学歴についても深掘りしていきたいと思います。
出身小学校
公文和子さんの出身小学校は公表されていませんでした。
公文和子さんが通っていた中学校は小中校一貫校です。
中学、高校と同じ系列の学校に通っているところから推測すると、小学校も東京学芸大学附属小学校の可能性も考えられますね。
東京学芸大学附属小学校は
・世田谷小学校
・小金井小学校
・大泉小学校
・竹早小学校
の4校になります。
これらの小学校に通っていた可能性も考えられますね。
出身中学校
公文和子さんの出身中学校は東京学芸大学附属中学校です。
東京学芸大学は中学校も
・世田谷中学校
・小金井中学校
・竹早中学校
・国際中等教育学校
の4校があります。
公文和子さんの出身校は、「東京学芸大学附属中学校」と公表されていますが、どこの中学校課までは判明しませんでした。
出身高校
公文和子さんが通っていた高校は、東京学芸大学付属高等学校だと言われています。
高校ではバスケ部に所属していた公文和子さん。
子供の頃から活発な性格だったようで、バスケが性に合っていたよう。
高校1年生の時にはキリスト教の洗礼を受けました。
キリスト教の洗礼がクリスチャンになるための条件ではないようですが、信仰の表明やキリスト教入信の儀式と言われているようです。
出身大学
公文和子さんが通っていた大学は、北海道大学医学部だと言われています。
東京で育った公文和子さんが北海道大学を選んだ理由は明かされていませんが、北海道大学は国際交流協定校に指定されているんだとか。
そのシステムを使ったのかはわかりませんが、後述にあるように公文和子さんは海外へ行ったことがきっかけで小児科医を志すようになったそうです。
小児科医になったきっかけは、大学の環境のお陰も、もしかするとあるかもしれませんね。
公文和子の大学時代エピソード!小児科を志した理由とは?
公文和子さんは大学時代に海外へ行ったことがきっかけで、小児科医を志すことになったそう。
留学先で何があったのか、小児科医を志したきっかけについて深掘りしていきたいと思います。
バングラデッシュへの留学
公文和子さんは大学6年生の時に、バングラデッシュに行く機会があったんだそう。
その時に出会った子供たちの目がキラキラしていたことが印象的で、子供たちとかかわる仕事をしてみたいと思ったようです。
始めは子供たちに魅了されたことがきっかけでしたが、滞在中に「この子たちを支援する」ではなく、「この子たちと共に生きたい」と強く願うようになったんだとか。
この時にバングラデッシュに訪れたことがきっかけで、帰国後に小児科を専攻しました。
「この子たちと共に生きたい」と思っていた公文和子さんですから、その後熱帯小児医学を学び、開発途上国に小児科医として派遣されることになります。
家族の大切さ
公文和子さんが大学生の頃は、医局を決めて卒業することが主流だったんだとか。
その時に、公文和子さんも医局を決めることとなるのですが、小児科の医局は他の医局と比較したときに、家族を大切にする人が多かったそうです。
仕事の時に子供の話題が出ることが多く、「今日は子供のお迎えがあるからこれで失礼します」などといった会話があるよう。
公文和子さんにはそのような小児科の医局の雰囲気が魅力に感じ、小児科医になろうと思ったそうです。
まとめ
今回は、公文和子のwiki学歴・経歴まとめ!北海道大学での留学で小児科医になることを決意?
〇公文和子のwiki風プロフィール!経歴まとめ
〇公文和子の出身小中学校、高校や大学など学歴まとめ
〇公文和子の大学時代エピソード!小児科を志した理由とは?
についてご紹介させていただきました。
障がいのある子供たちのために、日々奮闘している公文和子さん。
これからも、子供たちのよりよい未来のために取り組まれていくのでしょう。